2009年 02月 09日
最終回 26才と5ヶ月生きた猫
はじめての方は、1、2、3からどうぞ。数字、リンクしてあります。
26才と5ヶ月生きた猫、最終回です。
25才という高齢で、全身麻酔の開腹手術に挑んだミー氏。
一度は死神に手を引かれ、
橋を渡りかけたんだそうですが、
「ミーちゃん……」
「ミーちゃん……」
「ミーちゃん……」
聴力は、最後まで残る、五感だといいます。
「Aを哀しませてはならない」
その一心で、麻酔の河原から戻ってきたのだといいます。
あとは体力さえ戻れば……。
メドは「自分の口からエサを食べる」。
25才の超高齢猫の手術ということで、
点滴だけでなく、
人工給餌用のチューブが入れられ、
万全の体勢がしかれました。
ところがひと月、経っても退院できない。
理由は「自らエサを食べないから」
だんだん納得がいかなくなったAさん、
「そんなチューブが入ったいたら、
私だって、食事する気になんかなれません。
外してください、連れて帰ります」
病院側と直談判です。
「そんなことしたら死にますよ」
「いえ、大丈夫です」
「 何を根拠に言ってるんです」
「飼い主は私です。
ミーは連れて帰ります」
チューブが外され、
病院のケージから、開放されたミー氏。
猫の時間は、人の何倍も早く過ぎて行きます。
ミー氏にとっては、何ヶ月かぶりの、なつかしいわが家です。
Aさん、さっそく手づくり食を用意。
すると?
すると!
いつものように食べはじめたではありませんか。
猫は誇り高き生きものです。
ましてミー氏は4 分の1世紀も生きている、
長老猫です。
ケージとチューブで自由を奪われたことに対して
猫生を懸けての、
最後のハンストを起こしていたのです。
Aさんにはそれがわかっていた。
だって20代の頃から、苦楽を共にしてきたミーです。
ミー氏のカラダのことは、獣医師に譲りますが、
ミー氏のキモチは、Aさんがいちばんよくわかっています。
ふたたびミー氏とAさんの
おだやかな日常がはじまりました。
ところが異変がひとつ。
ひと月(@人時間)も寝たきりだったことで、
体力より先に、筋力が衰えてしまったのでしょうか。
トイレに行くにも、
あちらこちらにぶつかる。
「たぶん、麻酔の影響だと思うんですが、
目がほとんど見えなくなってしまったようなんです」
とAさんは語ります。
ただ、猫は元来、
それほど目がいい生きものではありません。
ひと月の入院で、本来の視力を補ってきた、
動物としての勘、感、観が、
衰えてしまったのではないか、
そんなことを私は思います。
ここだけの話、ミー氏は、
Aさんが仕事に出かけると、
脚力だけでなく、勘、感、観を取り戻すために、
こっそりリハビリに励んでいたのではないか、
そんな妄想をしてみます。
だって
「ほとんど目は見えてないようなのに、
ソファには昇るし、もちろん、ちゃんと降りるし、
寝る時は自分のカゴ に入って寝るので、なにがなんだか
?????の日々でした」
これはその頃を回想するAさんのメールです。
最期までベランダに出たりしてたんですからね。
寝たきりになることがなかった。
奇跡は起きるから、その言葉も存在する。
幸運と信じるキモチと、愛情が、それを起こすのです。by ミー氏
あの日、
ベランダで花の写真を撮っていたAさんと、
ミー氏は4月の陽光に抱かれます。
ムスカリの花に顔を近づけ、
風に目を閉じる。
「ミー、きれいでしょ」
「Aさんや、私の写真も撮りなさい」
遺影を撮らせたミー氏。
ミー氏は自分の死期が近いことを知っていた。
動物的カンを取り戻していた。
死の準備を進めていたのだと思います。
そしてその日はやってきました。
何となくいつもよりミー氏が小さく見え、
心配になったというAさん。
けれどそのまま出社。
夜、帰宅したときには、
冷たくなっていました。
最後まで自分の力でトイレに行った痕があり
えさも食べ、水も飲んでいました。
1979年10月30日(推定)—2006年4月4日
この記事を、26才と5ヶ月生きた猫、ミー氏に捧げます。
長文に、最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。
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ありがとうございます。
26才と5ヶ月生きた猫、最終回です。
25才という高齢で、全身麻酔の開腹手術に挑んだミー氏。
一度は死神に手を引かれ、
橋を渡りかけたんだそうですが、
「ミーちゃん……」
「ミーちゃん……」
「ミーちゃん……」
聴力は、最後まで残る、五感だといいます。
「Aを哀しませてはならない」
その一心で、麻酔の河原から戻ってきたのだといいます。
あとは体力さえ戻れば……。
メドは「自分の口からエサを食べる」。
25才の超高齢猫の手術ということで、
点滴だけでなく、
人工給餌用のチューブが入れられ、
万全の体勢がしかれました。
ところがひと月、経っても退院できない。
理由は「自らエサを食べないから」
だんだん納得がいかなくなったAさん、
「そんなチューブが入ったいたら、
私だって、食事する気になんかなれません。
外してください、連れて帰ります」
病院側と直談判です。
「そんなことしたら死にますよ」
「いえ、大丈夫です」
「 何を根拠に言ってるんです」
「飼い主は私です。
ミーは連れて帰ります」
チューブが外され、
病院のケージから、開放されたミー氏。
猫の時間は、人の何倍も早く過ぎて行きます。
ミー氏にとっては、何ヶ月かぶりの、なつかしいわが家です。
Aさん、さっそく手づくり食を用意。
すると?
すると!
いつものように食べはじめたではありませんか。
猫は誇り高き生きものです。
ましてミー氏は4 分の1世紀も生きている、
長老猫です。
ケージとチューブで自由を奪われたことに対して
猫生を懸けての、
最後のハンストを起こしていたのです。
Aさんにはそれがわかっていた。
だって20代の頃から、苦楽を共にしてきたミーです。
ミー氏のカラダのことは、獣医師に譲りますが、
ミー氏のキモチは、Aさんがいちばんよくわかっています。
ふたたびミー氏とAさんの
おだやかな日常がはじまりました。
ところが異変がひとつ。
ひと月(@人時間)も寝たきりだったことで、
体力より先に、筋力が衰えてしまったのでしょうか。
トイレに行くにも、
あちらこちらにぶつかる。
「たぶん、麻酔の影響だと思うんですが、
目がほとんど見えなくなってしまったようなんです」
とAさんは語ります。
ただ、猫は元来、
それほど目がいい生きものではありません。
ひと月の入院で、本来の視力を補ってきた、
動物としての勘、感、観が、
衰えてしまったのではないか、
そんなことを私は思います。
ここだけの話、ミー氏は、
Aさんが仕事に出かけると、
脚力だけでなく、勘、感、観を取り戻すために、
こっそりリハビリに励んでいたのではないか、
そんな妄想をしてみます。
だって
「ほとんど目は見えてないようなのに、
ソファには昇るし、もちろん、ちゃんと降りるし、
寝る時は自分のカゴ に入って寝るので、なにがなんだか
?????の日々でした」
これはその頃を回想するAさんのメールです。
最期までベランダに出たりしてたんですからね。
寝たきりになることがなかった。
奇跡は起きるから、その言葉も存在する。
幸運と信じるキモチと、愛情が、それを起こすのです。by ミー氏
あの日、
ベランダで花の写真を撮っていたAさんと、
ミー氏は4月の陽光に抱かれます。
ムスカリの花に顔を近づけ、
風に目を閉じる。
「ミー、きれいでしょ」
「Aさんや、私の写真も撮りなさい」
遺影を撮らせたミー氏。
ミー氏は自分の死期が近いことを知っていた。
動物的カンを取り戻していた。
死の準備を進めていたのだと思います。
そしてその日はやってきました。
何となくいつもよりミー氏が小さく見え、
心配になったというAさん。
けれどそのまま出社。
夜、帰宅したときには、
冷たくなっていました。
最後まで自分の力でトイレに行った痕があり
えさも食べ、水も飲んでいました。
1979年10月30日(推定)—2006年4月4日
この記事を、26才と5ヶ月生きた猫、ミー氏に捧げます。
長文に、最後までおつきあいくださり、ありがとうございました。
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ありがとうございます。
by asokeiko | 2009-02-09 23:45 | よそ猫